実は「ロッキー」という映画は逆差別の映画だ。
公民権運動で差別が告発され黒人の地位が向上する中、
社会に取り残された貧しいイタリア系白人の主人公。
貧乏白人というのはアメリカのレイシズムの主軸を担う層、まさにその男を映画は主役に置く。

モハメド・アリをモデルにした黒人王者アポロ。
ロッキーとアポロの試合は被差別者同士の戦い、最下位とブービーを争うタイトルマッチだ。
映画の観客は息を呑む。
ロッキーが勝つことは黒人が再び引きずり落されることであり、
ロッキーが敗れることは貧乏白人が永遠に救われないことを意味する。

ロッキーは最後に敗れる。
判定、それも極めて微妙な判定で。
敗れた主人公をマスコミが取り囲み口々に問いかける。
「判定は不当だと思うか?」「王者に言いたいことはあるか?」
まさに在特会的「白人こそが差別されている」という告発の予感が観客を襲う瞬間、
この映画にはある奇跡が起きる。

主人公ロッキーは記者の質問をすべて無視する。
逆差別の矛盾について、白人最下層の背負う不公平感について、
社会にそれを訴えるチャンスをドブに叩き込み
あるたった一つの言葉を叫ぶ。
誰もが知っている、スタローンの物真似芸人が必ず言うあの台詞。
彼はただ「エイドリアン」と叫ぶのだ。

心を閉じ、社会の片隅で朽ちかけていたエイドリアンが、
勇気を振り絞り人波を掻き分けてリングのロッキーに駆け寄る。
ファンファーレが鳴り、エンドマークが流れる。
実に多くの観客が、この結末をロッキーの勝利と誤って記憶する。
そしてその記憶は正しい。ロッキーは勝利するのである。

ロッキーが名誉ではなく承認を、地位でなく関係を獲得して映画は終わる。
アメリカの観客たちは満足して家路に着く。
チャンピオンベルトのことなど思い出しもせず、
アポロへの憎しみではなく、エイドリアンへの愛を深く記憶して、
貧しい白人の観客たちは社会のそれぞれの場所へ戻っていく。

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