“ラジコン”から学んだこと
そして、「なんであんなにうまく走れるんだろう?」とつぶさに観察していましたら、なにかノートをつけているんですね。「なんでラジコンでノートをつけなきゃいけないんだ?」と思ったんです。
「なに書いてるの?」と聞きましたら、「セッティングを書いてるんです。1回1回変えて走ってるんです」と。
ノートには、気温・湿度・路面温度・セッティング……いや、ラジコンといってもバカにしちゃダメなんです。実車と同じぐらいセッティング箇所があるんですね。スプリングも何百種類もあります。それを一つひとつ試して、こういう路面・こういう温度の時はどういうセッティングがいいかというのをノートに記していました。
ノートを取って、セッティングを覚えて、どんどん早くなってくる彼らを見た時に、私は当時1億円プレーヤーでしたが、「私、こんなに一生懸命に野球やってるかな」「1億円お金もらってるのに、このラジコンの子たちより一生懸命やってないかもしれない」と思いました。
当時の野球というのは、どちらかというと、実力主義。「今日は調子がいい。よし勝った!」「ダメだから今日はしょうがない」とか、「こいつはすごいから打った」「こいつはすごいから勝った」とか、そういうことが普通でしたけれど、もしかしたら、もっと自分のいいところをすり合わせたら、自分もさらによくなれるんじゃないかと思いました。
彼らが1回1回セッティングで煮詰めていって、細かいところを調整していくことによって、大きなタイムの進化があるというのを見て、私もピッチングもそうじゃないかなと。一つひとつなにかをプラスしていけば、もっともっとやれるんじゃないかということを思いました。
その時に出会うのが、鳥取のワールドウィングの小山(裕史)先生という方なんです。
初めて会った時に非常にびっくりしましたけれど、あの方は、目にカメラが入っているんじゃないか、コマ送りができるんじゃないかというぐらい、人間の動作を見る目が非常に優れていました。「なんでそんなに見えるんだろう?」と。おそらくわかっているからスローモーションに見えるんだろうなと思いました。
ちょうどラジコンでそういう気持ちになっていましたので、すぐ「先生、一緒にフォーム作っていきましょう」という話になりました。ですから、私は1996年から引退するまで、毎年新しいフォームにチャレンジしていました。
自分で「よし、これはいい」と思ったフォームは残して、また新しい課題を持ってどんどん積み重ねていった結果、50歳まで(フォーム作りは)続きました。そして40歳を超えてもスピードがアップして、42歳を超えた時に私の人生最高の143キロが出ました。
そう考えると、あの時ラジコンをしてる少年たちを馬鹿にしてたら、もしかしたら35歳ぐらいで引退していたのかなと思います。ラジコンに今は感謝しています。

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