ホウ・レン・ソウというバズワードがあります。「報告・連絡・相談」の頭文字を取ったもので、新社会人に対する会社での心得として紹介されるケースが多いです。

そして私はこの言葉が嫌い。相談は「何をすべきか」「どうすべきか」「もしくはすべきでないか」のジャッジを求めるというのは分かる。だけど報告と連絡の違いが分からない。MECEではないように見える。この言葉自体がコミュニケーションを阻害している。

しかも何もかも上司の言いなりでクリエイティビティを感じない。

そしてホウレンソウのオリジナルに関する記事を、4/2日経春秋で発見。

この語呂合わせは旧山種証券の社長だった山崎富治氏が20年以上前に考案したとされる。報告は縦、連絡は横、相談は集団のコミュニケーションを指す。本来は風通しの良い組織づくりの大切さを説いたはずの言葉だった。

ところが、いつの間にやら上司への一方的なコミュニケーションと曲解されておかしなことになっている。

オリジナルの「ホウレンソウ」とは「何を上司に話すべきか」ではなく「誰とコミュニケーションすべきか」を分類したものだったのです。すばらしい。

裏紙 – ホウレンソウとは
2008-05-13 (via hetmek, orehmi) (via highlandvalley) (via scocch) (via layer13) (via plasticdreams)

「お客様は神様です」みたいに、これは結構知られていない話かも。

(via radioya)

(via tra249)

(via motomocomo)

(via thepeaces)

(via gladdesign)

(via kotoripiyopiyo)

(via wackey)

いや、それよりも、その時間を、人生をもっとちゃんと味わうことに時間を使った方が、投資効果が高いと思います。
「ビジネス課題の抽出能力」って、結局は、顧客の課題の抽出能力だし、顧客ってのは直接的もしくは間接的にエンドユーザにつながってる。エンドユーザの心理をよりしっかり理解できている方が結局は、ビジネス課題の抽出能力も高くなる。
要は、「どれだけ人間ってものがわかってるか?」「商売ってものがわかってるか?」「組織ってものがわかってるか?」という勝負になる。
そうなると、いろんなものごとの楽しみ方、いろんな人の愛し方やつきあい方が、頭ではなく身体で分かっている人が、結局は、一番うまく課題を抽出し、解決できる。
だから結局は、そういう人こそが、どこに、どんなふうに人工知能技術を適用すれば、大きな顧客価値、ビジネス価値を創造できるかを見ぬく能力を持つことになる。
そういう人間こそが、もっとも上手く人工知能技術を使いこなせるようになる。

そして、この能力を身につけるには、人工知能技術などより、はるかに長い時間がかかる。

プログラマの生産性は20倍 という表現がマズイのではないか?と思い始めている。20倍なら20人雇えばいいよねとなる。
 
しかし、実際のプログラマの生産性は ピアノを引くようなものだ。
 
猫ふんじゃったならだれでも引ける。 だけれども、 そのレベルの人を500人集めても、ショパンは引けない。
ショパンを引きたければ、ショパンを引けるピアニストを連れてくるしかない。 一人か二人で十分。

大学に入って、はじめてまともな体育の授業を受けた。入学生全員に運動能力テストなるものを課し、その結果が一定レベルに達しない学生には、『トレーニング』なる恐ろしげなクラスを受講させるのだ。

このトレーニング・クラスは、わたしがそれまで受けた中で別格、いや、次元が違うくらい、まともな体育の授業だった。まず、教師の説明が科学的だった。トレーニングの内容は、小さなダンベル(重量がkgで表示されている)をつかったウェイト・トレーニングに始まり、ついで全身を使うサーキット・トレーニングが加わる。学生は各人、硬い紙のスコアカードが渡される。それに毎回、自分のスコアを記録して行く。たとえば右手にダンベルを持ち、右肩の上において、肘を伸ばして持ち上げる。その単純な、要素的な運動を、何回やれるか記入していく。

教師のインストラクションは、こうだった。「もし君らが、8回未満しかその運動ができなかったら、それは負荷が重すぎるのだ。そのときは、1kg軽いウェイトを使え。また、逆に16回以上その運動ができた場合、負荷が軽すぎる。だから1kg重いウェイトを次回はトライすること。重すぎるウェイトで無理を続けてりしてはいけない。それは筋肉にむしろ障害を与える。軽すぎる負荷では、もちろん筋力の向上にはつながらない。」 そしてまた、こうも言った。「こうしたトレーニングのための運動は、週1回では足りないことが統計で明らかになっている。7日たつと、獲得された筋力がもとに戻ってしまうのだ。週2回やれば、筋力は維持される。だから本校の体育の授業は教養過程の間、週2回に設定している。」

そして極め付けは、これだった。「諸君は別に他人と比べる必要はない。各人の運動能力はそれぞれ別で、個性があるのだ。だから、過去の自分とだけ比較して、向上を確認すればいい。」

実際、毎週同じトレーニングを続けて行くうちに、少しずつだが自分のスコアは着実に上がって行った。それは、とても喜ばしいことだった。自分にも運動面で向上する余地が、あるいは可能性があるのだ。トレーニング内容は少しずつ組み合わせで複雑になって行ったが、プログラムが緻密に設計されているため、ついて行くことができた。何より、他人と比較されて、劣等感を感じずに済んだ。それは、生まれてはじめての事だった。

そして逆に、それまで10年間受けてきた体育は、いったいなんだったのか、と思わざるを得なかった。運動部の、ほとんどプログラムも設計もない、ただむやみなジャンプやダッシュや筋肉運動の数々。そして体力をつけるため「体をいじめる」という、不可思議な観念。それは単なる精神主義の産物ではないのか。こうしてスコアに記録して数値化し、それを集めて分析し、さらにプログラムの設計を向上させる、という科学的発想はどこにも見られなかった。だが、あきらかに体育は科学の対象なのだ。目から鱗が落ちる経験とは、まさにこのことだった。

大学の体育の授業で学んだ、人の自発的な育て方
http://brevis.exblog.jp/20829444/ (via kyo-ju)

46: 名も無き被検体774号+@\(^o^)/ :2015/02/10(火) 16:15:47.26 ID:jC/ndBIT0.net
公的に資金をプール出来る制度てどんなの?

47: 名も無き被検体774号+@\(^o^)/ :2015/02/10(火) 16:26:56.90 ID:qc6itypJ0.net
>>46 先にも出ましたが 倒産防止共済や中小企業共済などですね 倒産防止共済は800万までが限度なので、それまでに使い道を見つけないといけないプレッシャーがありますが(すぐに貯まってしまう) 800万戻って来た時に 使い道なければその分の税金を払うだけですが それらが溜まるのを先に読んで 土地に目星を付けておくようにしています。