悪気無くナチュラルに失礼なことを言う人は「悪気がないだけでいい人なんだよ」じゃなくて単に言っていいことと悪いことの判断もつかない無神経な人だから話なんて聞く必要ないよって言われて目からうろこ
何度もリブログします。
(via crossbreed)
悪気無くナチュラルに失礼なことを言う人は「悪気がないだけでいい人なんだよ」じゃなくて単に言っていいことと悪いことの判断もつかない無神経な人だから話なんて聞く必要ないよって言われて目からうろこ
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意外と知られていない事実ですが、転職で最も多いのは縁故採用です。人材会社、ハローワーク経由では実はありません。
「縁故採用」というと親のコネを思い浮かべる人が多いと思います。しかし実際は友人・知人の紹介や取引先の社長や管理職から誘われて、というケースの方が一般的です。
こういう事実を知ってから、転職について私はこう考えるようになりました。
「会社を辞める時に、うちに来ないか、と言ってくれる人が3人以上いるなら転職OK。3人もいないなら、今の会社でもう少し頑張ることも考えよう」
縁故採用はお互いにメリットがあります。まずお互いのことをよく知っていることです。そういう状態での転職ですから、人間関係も良好、待遇も比較的恵まれている場合が多いのではないでしょうか。また、ミスマッチも少なく、継続しやすいように思います。
働くことに関してもう1つ言えることは、常に「うちに来ないか」と言ってくれる人が何人かいるような働き方、過ごし方をしよう、ということです。そのためには、今の職場で一生懸命働くことと、会社にひきこもらず、会社の外の人と積極的に会うようにするということです。特に内勤の人は、意識して外に目を向け自分から行動しないと、社外の人の目に留まりません。
先般ノーベル賞受賞者たちが口を揃えて「もう日本の教育はダメだ」といったのは、授業時間が少ないとかいうレベルのことではない。
官民一体となって「子どもたちが学習内容そのものにではなく、学習した場合に得られる報酬の獲得に熱中している」という教育システムに対して、「それではバカしか生まれない」とおっしゃっていたのだと私は理解している。
現に、超難関校といわれる大学を出た若者と話していて、あまりにものを知らないので、びっくりすることがよくある。
教養がないというレベルにとどまらず、専門課程で学んだはずの知識さえおぼつかない。
どうして、そんなにものを知らないのかと訊ねると、破顔一笑して、「いやあ、大学では全然勉強しなかったですから」と誇らしげな様子をする。
どうして、勉強しなかったことをこれほど自慢するかというと、それでも超一流校の学位記を獲得した自分のふるまいが「クレバー」だと思っているからである。
だって、わずかな苦役で大きな報酬を手に入れたわけだからである。
「ぜんぜん勉強しないで東大出ちゃいました」というのは、キーボードをちゃかちゃか叩いただけで1分間で数億円稼いだとか、1000円でベンツを買ったとか、それに類する「スーパー・クレバーな商品取引」なのである。
消費者マインドに立てばそういうことになる。
「学校なんかぜんぜん行ってねっすよ」「教科書なんか開いたことない」「試験なんか、ぜんぶ一夜漬けで、あとカンニング」というような言葉が「ほとんど誇らしげ」に口にされるのは学校教育で競われているのが「何を学んだか」ではなく「いかに効率よく競争に勝つか」だと彼ら自身が信じているからである。
ううう…。
(via hirata)
ただねえ、勉強ちゃんとしてても「全然してないから」っていうのが小学生だってやる照れ隠しだってこともあると思うよ?一般レベルとトップクラスをいっしょにするのはちょっとちがう。トップクラスのレベルが下がったとすればそれは確かに問題なわけだけど、別種の問題ではなかろうか。
(via h-yamaguchi)