保守派の人々はなぜ「事実」を無視したのだろうか? それはその情報が、自分たちがあらかじめ作り上げていたモデルにそぐわなかったからだ。この情報は、彼らを引きつける中毒性に欠けていただけでなく、むしろ積極的に彼らを遠ざける類のものだった。ある種の情報に「中毒」する一方で、それと反する別の見方については関心を持たないという状態が起こるのだ。(もちろん、民主党側も偏見から遠いとは言えないだろう。ブッシュ政権のAIDS関連政策やアフリカ関連の方針を民主党員に聞けば、同様の結果が生じるはずだ。)また、TwitterやFacebookについても、全く知らない人の投稿については、人はそれほど関心を持つことができない。
われわれはなぜ、視野が狭く、ある種のことに盲目的で、すぐに退屈してしまうのだろうか。それは、脳が制限のあるマシンであり、情報処理の容量に限りがあるからだ。結果としてわれわれは、全ての情報を平等に取り扱うことはない。私にとってはすごい事実も、あなたにとっては無意味だし、あなたにとっての必要なディテールは、私にとっては退屈だ。つまり、好奇心にはパラドックスがあるのだ――「すでに自分が知っていること」をもっと知りたい、という。
Monthly Archives: 11月 2010
機能を増やすには技術がいるが、機能を減らすには哲学がいる
dailystyle.net : インタビュー : 秋田道夫
そのとおりだとおもう。
(via yamato)
phylosophyかあ、これはトラウマ
(via buru)
泰:これは名言だな
(via ginzuna)
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